【食の恨みは恐ろしい】
博麗神社の裏手には、柿の木が生えている。肌寒くなる秋の半ばになると旬を迎え、この神社の管理者である博麗霊夢はその実を食料とする。
お茶の友、というワケではない。朝昼夜全ての食事が、この柿の実である。
一日の始まりに柿の実を食らい、小腹の空いた午後の日和に柿の実を食らい、一日の終わりに柿の実を食らう。
柿、柿、柿! 食卓に置かれた紙筒の中に放り込まれた膨大に積み込まれた柿の種が、それを物語る。
曰く、博麗神社の食料事情は途轍もなく切迫している。いや、食料事情は元より、金銭的な事情が壊滅的なのだ。破滅的なのだ。
金が無ければ何も買えぬ。真理だった。世の理そのものだ。
需要に対しての供給、因果に対する応報。博麗霊夢にとってはその後者、あるいは前者が致命的に足りなかった。
博麗神社とは、人里でも妖怪神社として有名だ。管理者である博麗霊夢は人間であるが、そこに立ち寄る者たちは妖怪、妖怪、妖怪の群れ。神聖不可侵たる神社に百鬼夜行の如く押し寄せる神魔化生の大群。
そんな普通ではない神社に一体、誰が好き好んで立ち寄ろう。否、全くもって否である。
普通の思考回路を持つ誰も彼もなら、近付きたくもないだろう。もし好き好んで近付くとすれば、それは妖怪に採って喰われても良いと思う証左。
少しばかり遠くとも、山の上に建てられた守矢神社に行ったほうがよほど安全極まりない。
だから生憎、この幻想郷の人里にそのような妖怪神社に好き好んで近寄ろう稀人はいない。
故に博麗神社への参拝客は、特別な用事などを除いて皆無と言えた。賽銭箱の中身に札や小銭が入った試しはここ数カ月無い。
博麗霊夢の金銭事情は、壊滅的で破滅的だった。
だがそれでも霊夢の腹を満たせたのは、数少ない心優しい人……主に魔法の森在住の偏屈店主から「お裾分けして(ツケて)」くれた食料。そして秋になればそこに柿の実が加わる。
博麗霊夢の秋のエンゲル係数は、まさに柿によって左右されていると言っても過言ではなかった。
◆◆◆
そして、今年も秋が来る。夏のおぞましい暑さもついに消え失せ、一気に肌寒くなった日和。
霊夢は居間のちゃぶ台にその身を伏していた。心なしか、顔つきがやせ細っているように見える。
「食欲の秋なんてなかった」
喉からねじり出されるその声はまさに怨嗟の如く。博麗霊夢は秋の半ばでいつも通り飢餓を謳歌していた。
ごてん、ぱたり。ちゃぶ台から床へ、身体が倒れる。
一気に肌寒くなった季節の変わり目に、霊夢は己の身を抱きしめながら、かれこれ一時間ほど呻き続けている。
空腹。どうしようもなく腹が減っている。
つい先日、食料の備蓄は底をついた。香霖堂へ飯をたかりにいくとしても、この寒さの中、空を飛ぶのは嫌だ。だがそれでも腹が減っている。
怠惰と食欲のせめぎ合いの中、霊夢は呻き続けた。何もかもが億劫だ。茶では腹の足しにもなるまい。
「手詰まりだわ……どうしようもなく手詰まりだわ」
ごろんごろん。そのまま畳の上を左右に転がる。
空腹を紛らわそうとするも、その些細な運動すらも逆効果だった。ぐぅ、と臓腑が捻じれる音がむなしく木霊する。
嗚呼、せめて。せめてお煎餅でも、果物でもあれば。そう思った矢先である。何か忘れていたものが、霊夢の頭の中に去来した。
今の季節はなんだ。秋だ。
その秋を己は今までどのように凌いできた? 店主から貰った食料と、そして、そして――
「――――――そうだ、柿よ!!」
それを思い出して霊夢は勢いよく立ちあがる。先ほどのダレっぷりは何処へ消え去ったのか。
霊夢はこの神社の裏手にある柿の木の存在を、何故だか今までスッポリと忘れていた。だが、それを思い出したのは僥倖といえた。歓喜といえた。
この空腹の獄中から解き放たれる為、博麗霊夢は裏庭へと走り出す――!
「んな馬鹿な」
裏手にあった柿の木の枝には、枯れ葉一枚すら残っていなかった。
一体、何が起きたというのか。少なくともついこの間まで、柿のことは意識せずとも、枯れ木ではなかった筈だ。その兆候すら見せなかった筈だ。
それがどうしてこうまで枯渇した。霊夢はその場でへたり込む。
嗚呼、柿が。食料が。
虚ろな表情で小さく呟き続ける。お腹の唸りが、一段と強く響いた。それはまるで慟哭のように。
――その時である。がさがさと、小さく、だが確かに、地面に落ちた枯れ葉を踏みしめる音が聞こえたのだ。
霊夢はその音のする先――枯れ木となってしまったソレの奥の雑木林を見やる。
目を凝らすと、そこにはわたわたとその場から急いで立ち去ろうとする、三体の妖精の姿がいた。
「ほらルナってば! なにもたついてんのよ!」
「だ、だって……こんないっぱい持っていける筈無いわよぅ……」
「サニーは元気すぎなんだって。まぁ、これだけあれば冬の食料の備蓄は大丈夫でしょ」
「冬でもいつもどおり人里とかで盗ったりすればいいのに、ルナやスターが……」
「もしものときを考えましょうよ、もしものときを、ね」
「い、良いから二人とも少しくらい分けて持ちなさいよー」
姦しく喚く三妖精。彼女たちの背中、大きな風呂敷。そこから溢れんばかりに詰め込まれたそれを、霊夢は見た。
――柿! 柿! 柿!! 何個も何個も、その風呂敷の中に詰め込まれていた。霊夢が求めた、秋の食料が。
「ふ、うふ、ふふふふふふ」
瞬間、霊夢の肺腑にどす黒い何かがストンっと落ちた。それはまるでスイッチの役割を果たしたかのように、霊夢の纏う雰囲気を激変させる。
ゆらり、と。まるで幽鬼のごとく霊夢は立ち上がる。懐から、霊力が込められた符を取り出した。
「ん?」
「どうしたのサニー。はやく戻りましょうよ。こんな重いのずっと持ってられないわ」
「い、いや。なんか酷い悪寒がね」
「そういえば私も、なんだか首筋を針で貫かれるような、いやな感覚が」
「え、えっ?」
三妖精は気付かない。すぐ背後。
限界まで空腹と戦い、戦い続け、報われようとしたその時、その希望を理不尽にも摘み取られた者の憎悪の猛りに。
ひゅー、ひゅーと。女の子にあるまじき呼吸音。覚束ない足取り。その全てが、恐怖にすり替わっていた。
三妖精が、寒気と怖気が奔る背筋の違和感に、その場から振り向いた。
鬼がいた。
「「「ぴっ」」」
叫ぶ間もなく、神社の裏手の雑木林に炸裂音が響き渡る。
南無。
◆◆◆
人の食料を断りも無く持っていく、邪知暴虐の輩は去った。
博麗霊夢は一切の躊躇いや慈悲も無く、悪党どもから己の大切な糧をとり返したのだ。完全勝利。一方的かつ凄惨な勝利。
霊夢はほっと一息吐いて、その喜びを胸中で反芻した。
ようやく、ようやくこの空腹との戦いに終止符を打てる。
邪魔者は消えた。私が正義。信じる奴が真実の王者だ。
そんな歓喜のなか、再び霊夢のお腹が可愛げも無く鳴いた。だがその嘆きともおさらばだ。
今ここには柿が、柿があるのだ。それも何個も、何十個も。この泣き声を黙らせるくらいの、夥しい量の柿があるのだ。
勝利の美酒に酔いながら、霊夢は風呂敷からあぶれた一つの柿に手をつけた。今宵の美酒の肴には、相応しい。
そうして、霊夢はその柿に齧りつき―――
「渋っ!?」
どうしようもない不味さに吐き捨てた